今日はその話をしましょう。
レーザーカッターがあると切り絵作家はいなくなるのか
レーザカッターが普及しても、人の手による切り絵が滅びることはないと思います。衣服の大量生産ができる現在でも、手織りや手染めの製品はたくさん見かけるのと同じことですね。
ただ、切り絵は衣服と違って定期的に買う消耗品ではないので、機械による大量生産の実現が、レーザーカッター打ち壊し運動が起こるレベルの脅威になる、ということはあまりないような気もしています。
機械は、早く、正確に、大量生産できるわけですから、レーザーカッターがあれば切り絵プロダクトの単価は安くなります。
ですので、例えば切り絵ポストカードや切り絵ふせんなど、ちょっとしたおしゃれな文房具や日用品として、レーザーカッター製のものが多く普及していくようになるかもしれません。
一方、人の手で作られる切り絵は依然として嗜好品、芸術品として楽しまれるのかな、と思います。
人の手でしかできないこと?
邪道だ、と反発を買うかもしれないですが、レーザー切り絵作家というのもありなんじゃないか、と思います。技術がどんどん進歩して、「機械にはできなくて、人の手でしかできないもの」はどんどんなくなりつつあります。
むしろ、初音ミクを使って音楽を作り、Illustratorで絵を描くなど「機械を使って新たな世界を生み出す」ということが創作の世界ではよくありますよね。
また、最近ではAIによる素晴らしい着色技術も出てきているようです。
これと同じように、切り絵でもレーザーカッターを使って何かできるのではないか、と思いました。
「レーザーカッター切り絵をする」などと聞くと、切り絵をなめてる、楽してなんだかずるい、機械に頼るなんてどうかしてるぜ、などのモヤっとした気持ちがよぎるのですが、同時にレーザーカッターを使って遊んでみたいな…!あれやこれができるんじゃないかな、とワクワクしてきています。
ただ、現状は大分高価なので少し入手を迷いますが…
それでも人の手で切り絵する意義を考える
たとえ誰もがレーザーカッター切り絵の繊細さ、正確さを高く評価し、手製切り絵に見向きもしなくなったとしても、それでも「切る行為自体が楽しい」という、ただそれだけで切り絵をする意義はあるのではないかなと思います。この絵ならレーザーカッターを使えば10分で、しかも正確に切れるよ、と言われたとしても、そこに自分の手で難しい部分をじっくりと切る過程の楽しさはありません。
また、そうしてようやく作品が完成した時の達成感も味わえないでしょう。
そうした完成に向かう静かな喜びを楽しむ、ということが切り絵の醍醐味であり、意義なのではないでしょうか。
まとめ
そんなわけで、人の手による切り絵とレーザーカッターによる切り絵、どちらかに正義があるというのではなく、それぞれの楽しさ、良さを味わって創作するのが良いのではないかなと思いました。