このリンク先で紹介されている「3面に時間が表示され、わざわざ回転させなくてもいい時計」や、「色・名前と結びつけられているためにエリアを記憶しやすい駐車場」など、なるほどこれは便利だ…!思いました。
こういう工夫は、目の前にすると「たしかに便利だ」と感じるものですが、自分でこうしたアイデアを思い付くのは難しいですよね。
その理由は、イラっ・モヤっとしてもめちゃくちゃ困っているわけでないため、あえてそのソリューションを考えようとしないからではないかなと思います。
例えば、蛇口をひねっても水が出ないなど、生活に支障をきたすような困りごとがあれば、水道工事を頼むなり、断水がないか調べるなり、どうにかしようとするでしょう。また、しばらく水道が使えないとわかったら、水を買っておかないと、とか、洗濯や風呂はどうしよう、とか、いろいろな心配や不安が頭から離れないですよね。
一方、時計が見にくい、などというのはちょっと時計を回せば済みます。また、その瞬間にちらと不便を感じても、そのことが何日も頭から離れないほど深く思い悩むことはないでしょう。ですから、どうにかして改良して抜本的に解決できないか、と深く考える前に、自分の行動の手数を増やすことで回避してしまうのではないかと思います。
しかし、こうした不便はあまり意識にのぼらないだけで、いろいろなところにあり、そのたびに少しずつイラっ・モヤっとして、少しずつ脳のリソースを消費し、心を削っているのではないかな、と思います。
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以前の私は、よく「不便は気合いと根性をもって自分でなんとかすべき」「ラクするのは甘え」「ひと手間かければできることを道具に頼るのは弱さ」みたいな悪い方向の体育会系のノリで物事を考えていたのですが、最近は「不便・手間は極力避けよう」「技術や道具に頼ってもいい」みたいな考え方になりました。
というのも、不便を我慢して気合いでなんとかしようとするより、より楽にできる方法があるなら、それを使って時間や手間を省くことで、もっと大事なこと、取り組むべきことに脳と心を向けられるようになるからでは、と考え始めたからです。
不便を我慢し続ける状態は、でこぼこ道をどうにかバランスをとりつつ自転車で走るようなものです。無理にその道を走り続けるのは、転ばないかと神経をすり減らしたり、なかなか進めなくてイライラするでしょう。ですが、その不便を取り除き、道を整備してしまえば、すいすい進めるようになり、早く、快適に目的地まで進みやすくなるということです。
ということで、不便を気合と根性でなく、技術や道具で解決するのは決して悪いことではない、というお話でした。
そしてエンジニアとして、使ってもらうことで人の不便を解決できるような何かを開発したいなぁ、とも思ったのでした。