「モモ」「はてしない物語」でおなじみのミヒャエル・エンデが書いた短編集「魔法の学校」を読みました。

自分の本当の望みを知って想像することが大事だと教える表題作「魔法の学校」をはじめ10作品収録されています。

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読んだ中でも、「テディベアとどうぶつたち」という作品が特に強く印象に残ったので、お話ししてみましょう。

あらすじは以下の通りです(以下、ネタバレがあります)。

主人公のテディは古いテディベアで、大きくなった子供からすっかり捨て置かれていました。
ある日部屋に飛んできたハエに、なんのために生きているのか問われ、テディはうまく答えられません。そんなテディを小馬鹿にして、ハエは飛び去ってしまいます。
そこでテディは、自分がなんのために生きているのか、周囲の動物たちに聞いて歩くことにしました。
動物たちは、めいめい己の人生にとって何が大事だと考えているかをテディに話します。ネズミは家族を養うこと、メンドリは産卵すること、ミツバチは働くこと、ハクチョウは美しくあること、サルは仲間をつくること…。誰に聞いても、テディにとってしっくりくるものはありません。
また、周りを気にせずずうずうしくやることが大事というアトリや、生きる意味なんてあるわけないから、何も考えない方がいいというトカゲのように、生きる意味を考えることを軽んじる動物にも出会います。しかし、彼らの言うことにもテディは納得できません。
悩むテディに、動物たちは「やくたたず」「よけいもの」「すてるほかはない」などと冷たい言葉をかけるのです。
最後に、テディは服も買ってもらえないようなはだしの貧しい女の子に出会います。
女の子に「わたしのところへ、こない?」と誘われ、テディは女の子とふたりで幸せに暮らしたのです。

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この話がめちゃくちゃ胸に突き刺さり、電車の中にもかかわらずちょっと涙ぐんでしまいました笑

自分はなんのために生きているんだろう。
そんなことをよく考えます。

自分が無価値で無意味な存在なのではないかと不安に思い、それを拭い去るために周りの人からの賞賛を求めたり、競争に勝とうとしたり、数値に見えるよい結果を残そうとしたり…そんなことがしばしばあります。

物語中の女の子の存在はメタファーで、現実世界でいうなら、「家族や恋人のような大切な存在」だけでなくもっと広く「生きがい」「天職」「天命」などと言えるかもしれません。

たった一つでいい。
自分を必要としてくれる場所や人との出会いがあれば、それがその人の生きる意味となるのでしょう。

誰も自分なんかをそんな風に必要としてくれない、とすねたくなるかもしれません。
昔の私も、きっとそう言うだろうと思います。

ですが、このお話に立ち戻ってみると、テディがもし、ハエに小馬鹿にされて、「どうせ自分は無意味な存在で馬鹿だから」とすねて、その場を動かないで座り続けていたら、きっと何も変わらなかったでしょう。むしろ、毎日ハエに馬鹿にされて、もっと卑屈な性格になり、人生が灰色になっていたかもしれません。
「自分の生きる意味は何?」そう何度も問い続けて、歩き続けたからこそ、女の子に出会う事ができたのです。

馬鹿にされて笑われたり、ひどい拒絶を受けたりして、テディはきっと傷ついたでしょう。
それでも諦めないで、生きる意味を求めて歩き続けたことで、テディは新しく幸せな人生を手に入れることができたと言えるのかもしれません。

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収録作品はすべて易しい表現で進行するストーリーですが、深く読むと深い人生哲学のメタファーになっており、はっとさせられます。
子どもだけでなく大人にも是非オススメしたい一冊です。