私の自撮りの師匠が、先日話していたこと。
- ロケハンして、ここで撮る!と決めて行ってみても、気分が乗らない時には撮影しないで帰ることもある。
写真にエネルギーが乗らないから。
せっかく行ったんだから、撮らなきゃもったいない...と思うかもしれないけれど、この判断はすごく大事。
- 人は理由や意味があれば自信を持って堂々と行動出来る。
けれど、どう展開していくか分からないけど、自分の中に沸き起こった「やってみたい」という気持ちを大切にしそれに従って生きるのは、人生の醍醐味でもあると思う。
「私生きてるー💕」って心から思えるし、想像を遥かに超えた世界に辿り着くこともある。
- もしこれまで、理由を付けて行動して来たことが多いなら、違う世界を見てみよう!の気持ちでトライしてみる。
結果、自分に合わなければやめたらいい。
ねぇ。すっごく素敵な語録だと思いませんか(๑╹ω╹๑ )
表現者として生きるにあたって大切なことを、とてもシンプルに語っていると感じています。
表現の本質
でも、表現・創作するにあたって、ついつい意味や意義、有用性を求めてしまうことがあります。
これって売れるかな?ウケるかな?次の仕事に繋がるかな?意味があるかな?などなど。
そんなことを考えているうちに、純粋な「やってみたい」というエネルギーが、「やっておいた方がよさそう」になって、しまいに「やるのが辛い...」「やりたくない...」になってしまうこともしょっちゅうあります。
ただ「やってみたい」という感覚を信じて突き進むのって、正直すごく怖いことなんですよね。
思考でどう考えたって、あんまりにも行き当たりばったりで、うまくいきそうには見えないので。
でも、うまくいかせるために表現するんでなくって、表現したいからただ表現する、というのが、表現の本質なのだと思うのです。
表現した結果としてうまくいくことはあるかもしれないけれど、うまくいくことを狙って表現するのは、なんだかずれていくのではないかな。
感覚と思考のバランス
「やってみたい」「楽しそう」「ワクワクする」という感覚がまずありきで、それを形にする上で、どうしたらいいかな?どうやったら実現できるかな?と思考を使うという流れがあるのが理想ではないでしょうか。
これがもし思考ファーストになってしまうと、「これが儲かりそう」「バズってトレンド入りしそう」などのアイデアから動き出すことになります。
そこにポジティブな感覚がなければ、丹精込めて表現することは難しいでしょうし、継続もしんどくなるでしょう。感覚的な喜びが少ないので。
かといって、感覚オンリーで動いてしまえば、「なんかこれ良さそう!」「やっぱりこっちがいいかも!」と、思いつきごとにフワフワ動いてしまって、完成形まで持っていくことが難しくなります。
感覚的な「これやりたい!」がまず生まれ、表現の核となります。
その核を、どのように育てて形にすると素敵かな?とワクワク思い描くのもまた、感覚の仕事です。
そこから実際に手を動かし、形にしていきながら、「もっとこうした方が良くなるな」「ここはこうしてみよう」とフィードバックを加え、改良し、現実化していくのが思考の仕事です。
こうして上手に役割分担しながら作り上げるプロセスが、理想的な表現のあり方なのではないかな。
まとめ
私の場合、ついつい思考が優位になって、何を表現したかったのか、どうしたかったのかわからなくなってしまうことが多いので、もっと感覚的な部分を大事に表現していけたらいいなぁと思ったのでした。
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